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【第十六回】 よいお年を

2019.12.16


早いものでもう12月。
東京の街はイルミネーションが光輝いています。

今年の最終回なので、この1年で「あそうか」と思ってメモしておいたことをいくつかご紹介します。


1.George Washington Stayed Here.
観光関連の翻訳中に検索をしていて「George Washington Stayed Here.(ジョージ・ワシントン宿泊地)」という英文を偶然見つけました。ちょっと調べると、アメリカにはジョージ・ワシントンの泊った家というのがあちこちにあって「全部あわせると生まれたときから死ぬまで毎日泊っていてもまだ泊りきれないほどだ」という笑い話があるそうです。日本でも同じですね。義経ゆかりの地とか、弘法大師の開いたお寺、とかがあちこちにありますが、どれくらいが本当なのでしょうか。水戸黄門様があんなにあちこち出歩いていたとは誰も思いませんが。

2. ballpen
高校の頃だったか、「ボールペンは英語で ball-pointpen という。ballpen は和製英語なので通じない」と教わり、長いことそう思っていましたが、先日検索中に "ballpen" を見つけてしまいました。ちょっと調べるとballpointpen、ball-pointpen、ballpen、ball-pen、ballpoint、ball-point などなどたくさんありました。あの説明の根拠は何だったのでしょうか。

3.パリっ子
"Parisian " の訳語でとてもよく使われますが、なぜ普通に「パリの人、パリ市民」にしないのかが不思議です。「パリの人間であるということを強調したいからだ」という説明を聞いたことがありますが、だったら、J.F.ケネディの西ベルリンでの有名な演説 "Ich bin ein Berliner." を「私はベルリンっ子だ」としないのはなぜなのでしょう。
「パリっ子」はたぶん、「江戸っ子」を下敷きにした言葉なのでしょうが、最近は「東京人」などという言い方もあるので、せいぜい「パリ人」でよいのではないでしょうか。
余談ですが、「「江戸っ子」という概念は外国人には伝えにくい。「東京ラブストーリー」と「難波の恋の物語」の違いも説明しにくい。」と何かに書いてありました。大学の頃の話で、なるほどと思いメモしたのですが、出典を記録しておくのを忘れてしまいました。

4.日本語危機一髪
今年は日本史の勉強を始めたと10月に書きましたが、日本史で習う有名な人々が日本語にとんでもない攻撃を加えています。
初代文部大臣森有礼は「日本語をやめて英語にしよう」と画策したことがあった。母国語日本語を「決して我々の列島の外では用いられることのない我々の貧しい言語」と考えていたそうです。
郵便制度の父としておなじみの前島密は、日本語を「改良」しようという意図で「漢字御廃止之儀」という建白書を江戸幕府最後の将軍徳川慶喜に上申した。
「小説の神様」志賀直哉は、第2次大戦直後に「日本語を捨ててフランス語を採用したらいい」と雑誌『改造』に投稿した。
危なかったですね。

5.とても
日本語の乱れとして以前からよく挙げられているのが「全然好き」です。「全然~ない」という「副詞の呼応」ルールは学校で習いました。
しかし「とても」も本来は「とても~ない」で使用されるものだったようです。「とてもそんな事は出来ない。」のように使われ、「とうてい」という意味を表し、「出来ない」のように否定表現を伴う言いだったそうです。
「とても」の用法が変わったのは大正の中期ごろだということで、私たちが副詞の呼応を習った頃にはすでに肯定表現が認められていたので、皆さんも「とても美しい」に違和感はないと思います。
芥川龍之介の「澄江堂雑記」に「『とても安い』とか『とても寒い』という言い方はおかしい」ということが書いてありますので興味のある方は青空文庫等で見てください。

6.さよなら負け
国語辞書で有名な岩淵悦太郎という人が「『さよなら負け』はおかしい。『さよなら勝ち』があるなら『さよなら負け』もあるだろうという理屈なのだろうが、負ける方が『さよなら』ではどうにもおかしい」と書いていました。なるほど。

以上「さよなら令和元年」ということで、年末特集「あそうか」でした。


よいお年をお迎えください
I wish you a happy new year!

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